暦法と紀年法(定例挨拶)

新年明けましておめでとうございます。
毎年同じ挨拶で恐縮ですが、

今年は、

 皇紀2674年
 檀紀4347年
 主体103年
 黄紀4712年
 平成26年
 甲午
 神の年で2014年


で、今日という日は、

 天地創造より7521年(12月19日)
 第7インディクティオの年(12月19日)
 ローマ建国より2766年(12月19日)
 ヘジュラ遷都より1435年(2月28日)
 創世紀元5774年(4月29日)


 ちょっと不思議でしょ。上は全部1月1日なのに、下は月日からして違う。この差が、紀年法暦法の違い。
 上のグループは、全てグレゴリウス暦で、紀年法だけが違う。
 下は、ユリウス暦、ヘジュラ暦、ユダヤ暦と、暦法自体が違う。後者二つは、どちらも西アジアで現役の暦。(所謂「西暦」も併用されてるケドね。)
 今「西暦」という語を用いたケド、この「西暦」ってヤツは正しくは「Anno Domini」(ラテン語)。
 「神の年で」とでも訳しますか。(略号は「A.D.」)

 ちなみに紹介すると「皇紀」は明治から太平洋戦争期まで用いられ、「檀紀」は戦後の韓国で、「黄紀」は辛亥革命時の黎元洪政権で一時的に用いられ、いずれも現在公用されていません。「主体(チュチェ)」は朝鮮民主主義人民共和国で現役で用いられ、「平成」等の元号は8世紀以来現在までの日本で用いられ、「干支」は中国起源で公用ではないが、副次的な紀年として東アジアで広く用いられている。「神の年で」というのは、先述の通り所謂「西暦」のこと。
 「天地創造」や「インディクティオ」はビザンツ帝国の公用紀年であり、ローマ建国紀元は共和制/帝政ローマで用いられた。「ヘジュラ紀元」、「創世紀元」は先述のとおり、イスラーム圏とイスラエルで用いられている。

 ここで考えたいのが、紀年法暦法の相関。ヘジュラ暦にはヘジュラ紀元、ユダヤ暦には創世紀元。そして、グレゴリウス暦には「Anno Domini」。文化背景を前提にして紀年と暦はセットになっている。
 つまり、グレゴリウス暦無くして「Anno Domini」は無く、同様に「皇紀」も「檀紀」も有り得ない。
 そも「皇紀」なるものは、欧米のグレゴリウス暦を輸入した時、それに併せて、初めて作り出されたモノでしかない。西洋伝来のグレゴリウス暦のロジックを用いて、現代から遡及して年月を再解釈したものなのである。
 日本の紀年/暦は、まず中国の戦国時代に整備された太陰太陽暦(旧暦)が中国の元号と共に輸入され、その後、中国の元号を模倣して、独自の元号を制定した。グレゴリウス暦太陽暦)の採用はA.D.1873年明治6年)まで下り、この時、2533年から皇紀が突然始まったのである。
 このグレゴリウス暦にまみれた「皇紀」を以て、「日本古来の」とか「伝統的な」とか言われると、違和感を禁じ得ない。「皇紀」の歴史はたかだか140年。幕末水戸学からの萌芽を含めても「伝統的」と呼べる程に歴史のあるものではない。

 グレゴリウス暦の採用にあたり、カトリシズムの心性を払拭するために「皇紀」が作成されただろう点を思えば、暦と紀年がイデオロギ上では断絶していると看做して構わないのかも知れないが、グレゴリウス暦とセットにするために作成された紀年に対して、伝統や独自性を感じるのは、発想の飛躍と言う他無い。

 皇室への敬意、長い伝統ということであれば、平成元号を使うべきだろう。普及が見られた大宝(701年-)から数えても1300年以上。実に皇紀の10倍近い伝統を持っている。中国出自の紀年であって、「日本独自」では無い点が皇室を敬慕する人間には不満なのかも知れないが、元号太陰太陽暦(旧暦)からグレゴリウス暦へのシフトを既に経験している点を踏まえて欲しい。今後、重大なパラダイムの転換が発生し、グレゴリウス暦からの改暦が為されたとしても、もっとも自然に現行暦に受容されるのではないだろうか。

 或いはグレゴリウス暦臭の強い「皇紀」の名称を用いずに、「神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)の建国(説話)より2674年」と意を砕いて述べるのも良いだろう。
 ちなみに、「建国記念の日(2月11日)」という期日は、記紀で元日(1月1日)とされる日がグレゴリウス暦換算されたものなのであり、この一事を取っても「皇紀」が「グレゴリウス暦」を前提にした紀年であることが伺える。しかも、この換算はかなりの出鱈目が含まれる訳で、2/11を祝うよりは、今日、この日(元旦)を、素朴に皇統2674年と祝う方がスジだと思う次第。(日本国号の制定から見れば、日本建国は2600年でなく、せいぜい1300年余りなので皇統に置き換えました。)
 加えて言えば「神武天皇」という呼称も8世紀の作成。やはり「カムヤマトイワレビコ」と呼ぶべきだと思いませんか?

 古いだけなら干支の方が良いのですが(中国で3000年以上前から用いられている。)馴れるまでワケが分からないので止めた方が良いでしょう。仮に自分が馴れても、周囲の人にはナカナカ通じないでしょうから。ええ。

 だいぶ話が拡散しましたが、要はナショナリズムに根差して文化伝統を叫ぶなら元号までにしておけよ、とゆー新年の挨拶。

今年もよろしくお願いします。


建国記念の日紀元節については別に書いたことがあるのでそちらに譲ります。換算の出鱈目についても、こちらで。
http://d.hatena.ne.jp/takayun/20130211/1360585383

ではではー。