2015年1月のセンター世界史Bを解いてみた。

毎年恒例のセンター試験の世界史B。
今年は78点でした。
しかも、いつもは20分弱で終わらせているのですが、今回はPDFファイルを画面で見ながらだった不慣れ感もあり、25分もかかった。むぅ。
以下反省会。



第1問C問7(2点) オーストラリア連邦の成立時期について。1783ステイツ独立、1837ヴィクトリア女王即位、1877インド帝国成立の時系列の何処に入るかを選ぶ。
 いやはや、全く知識なし。連合王国グレートゲームの枠内で植民地統治を変質させるなら、まぁ、インド帝国の前後で間違いないとは思ったが、さて、前か、後か。正解は後(1901年樹立、1931年独立)なのだが、前を選んでしまった。豪史をかいつまむと、1770クックの発見と領有宣言、ステイツ独立を機に1788から流刑植民地(〜1868)、1851金鉱発見を機に移民問題が激化し、1870までに6自治植民地が誕生し、1900英議会で豪憲法令が承認される流れだとか。へぇ。

第1問C問8(3点) 公用語についての2文の正誤を問う。文章は「ビザンツ帝国では、公用語ギリシア語からラテン語となった」と「ムガル帝国では、ペルシア語が公用語として用いられた」の2文。
 ビザンツは7世紀頃に東ローマ帝国から中世ギリシア帝国的色彩にシフトしているので、前文は全くの逆で「誤」。後文については、正しいのだが、何故かアクバル帝の神聖宗教が脳裏をちらついて、ついつい「誤」を選択してしまった。そもそも、シャー・ジャハーン帝とか、バハドゥール・シャー帝とかの「シャー」ってペルシア語の皇帝号じゃんか。ムガル帝国の皇帝号「パードシャー」ってのは「シャーの中のシャー」という意味な訳で、当然公用語もペルシア語になる。こーゆー知識が一瞬出てこない辺り、「なまった」なぁ、と。ぐぬぬ

第2問A問2(3点) 地図問題。ab2点を図示し、18c欧州船との交易が認められたのは、広州、寧波(明州)のどちらで、それはabのどちらであるかを答える。
 あー、問題文読んでなかった。広州って、bじゃなくて、海南島の付け根ぐらいだと思い込んでたよ。abは正しく寧波と広州にプロットされてたのか。単純な地図正誤だと読み間違えた挙句に、その地図内容すら間違えてたさ。うーん、駄目だー。「欧州船との交易」という問題文を読んでいれば答えられた、かも。どうかな。むう。

第2問B問5(3点) 地図問題。ab2点を図示し、ポルトガルのアジア進出の拠点となったのは、ゴアかコルカタカルカッタ)であるかを問う。
 葡のアジア進出拠点と言えば、当然にゴアなのだが、aは西海岸、bはコルカタを指している。ゴアって、もっと南の東海岸だった気がしたので、地図上の正誤をもって「b・コルカタ」を選んだのだが、これが大間違い。アタシが脳内でゴアだと思っていたのはマドラスであった。ぐぬぬ。aはゴアじゃなくてボンベイだと思ったのだが、ボンベイはゴアより少し北なのね。ホント駄目だわ。地図問題ってのは地図さえアタマに入っていれば簡単に加点できて、しかも配点が大きいサービス問題だった筈が、「地図さえアタマに入っていれば」の部分が、いよいよ40歳を前に零れ始めたっぽい。くやしいのぉ、くやしいのぉ。

第3問C問8(3点) オーストリア=ハンガリー帝国の領域に含まれる地域について、4択から正しいものを選ぶ。
 墺はソ連に併合されていないし、洪が社会主義国となったのは1920年代ではありえないので、残る択は「チェコスロバキアミュンヘン会談を経て解体された」と「ボスニア・ヘルツェゴビナ青年トルコ革命をきっかけに独立した」の2つ。チェコスロバキアの分離独立は1989ビロード革命後の選挙に基づくもので「解体された」訳ではないので、消去法でボスニア。でも、青年トルコ革命と関係ないよなぁ、、、あ!チェコスロバキア解体って、1939のナチスドイツによる併合のことか。それでミュンヘン会談か。ああ勘違い。なんて愉快な勘違い。うはははは。

第3問C問9(3点) 空欄補充問題。1899、1907の二回行われた万国平和会議はジュネーブかハーグか。第2回会議で日本による保護国化の不当性を訴える密使を送った高宗は清国皇帝か韓国皇帝か。
 後者は大韓帝国の高宗で間違いないのだが、さて、万国平和会議はジュネーブかハーグか。正解はハーグだそうな。へぇ。

第4問A問2(3点) 女王についての事績で、4択から正しいものを選ぶ。
 テル・エル・アマルナ遷都はクレオパトラじゃなくてイクナートン(アメンホテプ4世)、卑弥呼北魏じゃなくて魏(曹魏)。残るは「イサベル女王はカブラルを援助した」と「アン女王の治世下で大ブリテン王国が成立した」の2択。グレートブリテンって、1801のアイルランド併合なら、アン女王じゃないよな、彼女の治世って短かったしな、とか思って、消去法でイサベル女王を選択してみた。つか、カブラルって誰だ?で、1801のアイルランド編入で「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」になったのであって、グレートブリテン自体は1707の連合法に基づくスコットランドイングランド統合なんだね。アン女王治世下の。うーん、試験だと結構こーゆー凡ミスをやらかすよなぁ。むぅ。ちなみにカブラルさんは葡のマヌエル1世の時にバスコ・ダ・ガマの後継としてインド遠征したり、ブラジルに辿り着いたりした人。イサベル女王と言えば、まぁ、メジャーなのはコロンブスへの援助ですわな。むー。

第4問B問7(2点) 思想史についての2文の正誤を問う。「宋学は、宇宙の原理や人間の本質などを探究した」と「アリスタルコスは天動説を唱えた」の2文。
 アリスタルコスは逆に地動説論者。で、宋学って朱子学とかだよなぁ。宇宙の原理とか人間の本質とか探究してたっけ?ということで、「誤−誤」を選択したのだが、これが間違い。儒学史上の位置づけでは、従来の字句解釈学(訓古学)中心の儒学に対する新儒学ともいうべきもので、「人間の道徳性や天と人を貫くことわり(理)を追求することこそ学問であるとされた」(ウィキペディアより)のだそーな。へぇ。

うむ、今年もまた色々と鈍ってきていることを自覚させられる試験であったわ。地図問題をボロボロ落としたのが痛すぎる。しくしく。