2016年1月のセンター試験の世界史Bを解いてみた。

74点かぁ。またえらく低調だなぁ。
第2問で集中的に(5問13点)落としたのが痛い。つーか、第2問の小問9問を5問落とすとか、半分も取れてないのか。しくしく。

ということで概略。
第1問 宮廷や宮廷文化
 A 出題文は中世欧州(3問9点中、1問3点誤り)
 B 中央アジア・南アジア(3問8点、減点なし)
 C 出題文は近世欧州(3問8点中、1問2点誤り)
第2問 世界遺産
 A 出題文はブリュージュ(3問8点中、2問5点誤り)
 B 出題文はロンドン塔(3問8点中、2問5点誤り)
 C 出題文は孔廟(3問9点中、1問3点誤り)
第3問 戦争とその影響
 A 出題文はドナウ流域(3問8点中、1問2点誤り)
 B 出題文は近代東アジア(3問8点中、1問3点誤り)
 C 出題文はロベルト・ユンク(3問9点、減点なし)
第4問 宗教と政治
 A イスラーム(3問9点、減点なし)
 B コンキスタドーレス(3問9点中、1問3点誤り)
 C タイ王国と仏教(3問8点、減点なし)

以下、誤答を振り返る。



第1問の問3。エラスムスの著作のタイトルと、有名な肖像画の作者名についての正誤選択。「愚神礼賛」は分かったのだが、肖像画の作者は分からなかった。ホルバインさんか、ベラスケスさんか。本文にドイツ人とあるので、ホルバインさんの方が正しい気もするが、全く見覚えも聞き覚えもない辺りが気にかかる。一方のベラスケスさんって何か聞いたことあるような気もするので、とりあえずフィーリングでベラスケスさんにしてみた。正解はホルバインさん。「語感的にドイツっぽい」まで辿り着いた上で落とすというのは、もう勝負勘が錆び付いたとしか言いようがないな。ふむ。

第1問の問9。ランケの歴史学マキャベリの「君主論」、喜劇作家モリエールの3つを時系列順に並び替える問題。つか、モリエールって知らんし。マキャベリとランケではマキャベリの方が早いのだが、モリエールさんがどの時代の人なのか分からず間違えた。正解はマキャベリモリエール→ランケ。

第2問の問2。近代以前の職業団体に関する誤答選択。公行、公所はたぶん合ってそうだったので、「フランス革命でギルド廃止」と「同職ギルドは親方・徒弟・職人が加入した」の二択。革命でギルドって廃止されたんだっけ?覚えてないなぁ。あと、ギルドの仕切りが親方に限られるのは当然として、徒弟・職人って加入してても口を挟めないのか、そもそも加入できないのか、どっちだろう?正解は「そもそも加入できない」だそーだ。ふむ。

第2問の問3。1630-1799の蘭英仏の艤装船舶数の推移グラフを見て考える。蘭のピーク(1720年代)は七年戦争直後か否か。仏の東印会社再建以前は仏は常に英の半分以下であったか否か。仏が急に伸びてる辺りがあって、そこが東印会社再建なのだろうなと思えば、その前の船舶数は確かに英の半分にも満たない水準。後段はこれで正解っぽい。七年戦争は1750年代なので、前段は誤りなのだが、七年戦争そのものをど忘れして間違えた。わはは。

第2問の問5。一次大戦後の事象を選ぶ。スイスはウィーン会議だから一次戦より前。ブーランジェ事件も第三共和政下なので一次戦より前。「フーヴァーモラトリアム」か「UKの第3次選挙法改正」の二択。UKは歴史の区切れ目に合わせて選挙法を改正しているので、第三次ぐらいならとかヤマ張ったら外れた。1830年代、60年代、80年代までが第一次から第三次。そして女性参政権を認めた第四次改正が1918年。一方のフーヴァーモラトリアムというのは世界恐慌後のステイツの債務取り立て猶予措置のこと。知ってればコレが正解だとすぐ分かるのだが、まぁ、ムラのある知識なのだから仕方ない。

第2問の問6。フランスのバスティーユ襲撃と、UKの審査法についての正誤。ヴァレンヌ逃亡事件が襲撃に繋がったというのは誤り。で、審査法。人身保護法の別名かと思って「正」にしてしまったのだが、審査法は審査法で、人身保護法ではなかった。「誤」が正解。むむむ。

第2問の問9。人民中国にて、改革・開放政策により人民公社の解体が始まった時期を選ぶ。文革の後始末、トウ小平の権力掌握という流れなので、周恩来没後〜南巡講話以前の辺りが正解。どうにも現代史はザルだなぁ。

第3問の問1。「テミストクレスサラミスの海戦でアケメネス朝を破った」と「フィリッポス2世がカイロネイアの戦いでスパルタを破った」の2つのセンテンスの正誤。前者は正しく、後者はスパルタではなくアテネ・テーバイの連合。何故か2つとも「誤」と答えてしまった。何故間違えたのだろう。

第3問の問5。中華民国の国民政府の事績についての正答選択。北京議定書は清代で、中ソ友好同盟相互援助条約は人民中国。残るは「二十一か条要求を受諾した」と「関税自主権の回復を目指した」の2肢。前者は一次大戦の絡みなので、清代でも人民中国でもなく中華民国の時代ということで選択してみた。でも、「中華民国」って「北洋軍閥時代」と「国民党時代」に分かれるそーで、二十一か条要求を受諾した袁世凱は北洋軍閥時代。中華民国って孫文が建国者で国民党の人だから、まとめて国民政府としてカウントされるのだと思っていたよ。どうにも現代史はザルだわ。

第4問の問6。メソアメリカの文明についての空欄補充。ユカタン半島ということでアステカではなくマヤ文明。で、もう一つの空欄について「二十進法」か「六十進法」で、六十進法を選んで間違えた。マヤって二十進法だったのか。ホントに知らなかったナリよ。ちょっとショック。インカなら間違えないのに。タワンティンスーユのキープは十進法なのだ。イリャテッセ。